生き易さの思考法

他者の不幸の上じゃない。誰かの幸せの上に自分の幸福があると気付いた話

こんきちです。

 

先日の世界仰天ニュースで、人が沢山亡くなってしまう大きな事故に遭遇た際に生き残ってしまった人が陥ってしまうという「サバイバーズ・ギルド」という心の病の話がありました。

  • 何故自分が生き残ってしまったのか
  • 何故自分は生きているのか
  • 自分以外にもっと生きるべき人がいたんじゃないのか
  • 他人の不幸や犠牲の上に自分は生きているんだ

・・・そういう気持ちに苛まれてしまうそうです。

 

私は幸いにも大きな事故に巻き込まれた事も無いしです。だから「サバイバーズ・ギルド」を抱える人の本当の苦しみはわりません。ただ、「他人の不幸の上に自分がいる気がする」っていうのは何となく普段の生活でも感じる事が私はありました。

 

競争社会、比較される中で日々生きていると、「人を蹴落としていかないと幸せになれないのか」とふと感じてしまいました。日々忙しない生活の中、そういう「誰かの悲しみの上にある幸せ」「上手くいった人とそうでない人」が存在する生き方や働き方しか与えられていないように感じました。

 

・・・「他人の幸福の上に私の幸福もある」「私の幸福の上に誰かの幸福がある」という生き方なんて出来ないのかなって。そんなの綺麗事で無理なのかなって。

 

でも、「自分も他人も幸福になれる」生き方は目指せば出来るって事がブログを始めて感じる事が出来ました。今回はそういうお話を書いていきたいと思います。

自分の幸せは他人の不幸の上にある?

小学校の頃から、そして社会人になっても、、

  • 人より優れてないといけない
  • 点数が良くないとだめ
  • いい論文が書けないとだめ
  • 営業が出来ないとだめ
  • 商品を売り込めない自分はだめ

 

何だかんだで、

人と比べられて評価されてきました。

 

他人より、上に立たないといけない。

他より優れていないといけない。

 

いい点を取れば、人より出来が良ければ周囲から褒められるし認められるから嬉しい。

 

けれど比べられたり優劣を見られていく中で自然と、

自分が上手くいった時や評価された時

  • その下では上手くいかない他人
  • 失敗した人の存在
  • 不幸せな誰か

を何となく意識させられました。

 

彼がミスしてくれたから、今回私が評価された。

あの人が失敗してくれて良かった。

 

露骨にそう思うわけじゃないけど、人の不幸のおかげで今自分がある。誰かが不幸にならないと自分に幸せは回ってこないような気持ちは少なからず感じていたような気がします。

優越感と劣等感。自分の幸せも他人の幸せも喜べない

自分が評価されたり、人よりもとっても良い事があれば、やっぱり優越感を感じたし良い気分にもなりました。

 

逆に、自分以外の他人、友人がすごく幸せな事があった時、何もない自分に劣等感だったり、なんだか寂しく虚しい気持ちになりました。モヤモヤした気持ちになりました。

 

私は、自分に良い事があっても多分あんまり口には出しません。だってそれでモヤモヤしたりする人がいる事や良い気持ちがしない人がいる事を分かっているから。

 

良い事は嬉しい。けど、人よりちょっと良い日だったからってそれを他人と比べている自分が少し虚しく思いました。人よりちょっとダメだったからって何でこんなに虚無感を感じなければいけないのだろう。比較したからなんだっていうんだろう。私の幸せと他人の幸せってそんなに関係してないのに。それぞれがそれぞれ幸せでいれる事は良い事なのに何で心から祝えないし、虚しくなるのだろう。

 

比較社会の中で、

他人の幸せを心から喜べない自分がいると同時に、自分が幸せな時には一方で(他者の幸福に私が感じるように)自分に良い事があった事を良く思わない人や落ち込んでしまう人がいると思うと素直に自分自身の幸せも心からは嬉しく思えませんでした。ちょっと罪悪感みたいなものを感じました。

相手も自分も幸せになる生き方もあった

けどブログを始めて、会社を辞めて、東京に引越して生活し始めて、そしてセミナーの書記やブログサポートをする様になって・・・

 

  • 「他人の幸福の上に私の幸福がある」
  • 「私の幸福の上に他人の幸福がある」

生き方は存在したんだなって思いました。

実感しました。

 

ブログを始める前の会社員時代は、

  • 自分が幸せならそれで良い、他人の不幸は仕方がない
  • 他人が不幸でもそれは仕方ない
  • 人より優れないと幸せになれない
  • 上から評価されないとダメだ
  • お客さんの事より、会社の中での自分の立場の方が大切
  • あの人が妬ましい、幸せそうな友人を見ていると辛い

と思う事ばかりだったし、こういう風にしか生きれないんだと思っていました。

「お客さんの幸せを思って対応する事より偉い人の顔色を伺うことの方が大事なんだ」「正直に生きることは愚かな事なのかもしれない」「優しさは利用されるだけ」「それが社会。それが大人として生きる事なら仕方がない」と思っていました。

 

けどブログを始めて、

私のブログの師匠や仲間たちと出会って・・・

  • そのままで良い。そのままだから良い。
  • 他の誰かになろうとしなくて良い。
  • マイナス感情も全部私。否定する必要はない。
  • 嘘を付いて偽って仕事をしなくて良い。
  • お客さんの事を第一に考えて良い。
  • 自分に正直であって良い。
  • 相手に心を尽くしてあげて良い。
  • 私が幸せになってこそ、誰かを導ける。
  • 誰かを幸せにすれば、私ももっと幸せになれる。

 

こういう事を感じる様になりました。

ブログの仲間も師匠のシノさんも、竹川さんもいつも「そのままで良い」「自分の気持ちを大切にして良い」と言ってくれました。

 

今まで生きてきて、会社でも働いて来て、「そのままで良い」なんて言われた事は無かったしいつも「もっと優れた誰かにならないと」って思っていました。

 

ブログの記事書きや、ブログサポートも、「自分がしてもらったら嬉しい事をしてあげて良い」「相手を想って心を尽くしてあげて良い」「優しくあって良い」そういつも言ってくれたし、実際そうであった方がお客さんからも「ありがとう」って言われたりして私も嬉しかったです。だからもっと喜ばれる事をしたいって思うし、やって良かったと思える事が多くなりました。

 

相手の幸せを想って正直に誠実に行動していく事で、自分も「ありがとう」ってその相手から言われる。そうやって生きていける事って凄く素敵な事だし、凄くプラスな循環だなって思います。

 

今までは自分と他を比較してばかりだったけど、そうじゃない生き方もあるんだなって思います。比較ばかりしていたから、誰かの不幸と幸福を比べてばかりいたから「他人の不幸の上に自分の幸せがある」って思い込んでいたけれど、それは1つのものの見方でしかありませんでした。

 

自分は自分のままで良いし、生きていれば辛い事や失敗もある。けどそれは、自分が幸せになる、成長するための経験値で誰しもが経験する事。今成功している人も、過去に辛い事を乗り越えて今がある。みんながそれぞれ頑張っていて辛い事があったり、幸せになったりしている。

 

自分の幸せと他人の不幸には本当は何の関係もなくて・・・自分幸せの為に人を貶める必要も、誰かが不幸になる必要なんてどこにも無かったんだなって今は思います。

最後に一言

漫画や音楽など芸能やアーティストの世界だとやっぱりどうしても「才能」「運」「審査員からの評価」みたいなどうしようもないものの力が無いとなれなかったりもするって思います。それに競争もめちゃめちゃ激しいしそこで勝ち抜いていかないといけないです。

 

会社員はそこまで激しい実力戦争は無かったです。けれど、やっぱり「上司の評価と顧客の想いの間の板挟み」だったり「なんでこいつは出来ないんだという目で見られる辛さ」はありました。

「自分は自分のままでいて良い」とは1ミリも思えなかったし、人と比較され評価されて、「彼の失敗のお陰で評価された。ラッキーだったな」「あの人がミスしてくれたお陰で私は叱られずに済む。助かった…」と思ってしまう時がありました。

 

その点ブログは「継続したものが強い」「コツコツやっていれば確実に成果が出る」って部分があります。ミスや失敗談も悲しい事も全て記事のネタになるし資産になります。「想い」が力になります。

 

確かに沢山のブログサイトがあるしライバルもいます。けれど競争していくってよりもどれだけ「自分らしさ」「自分の伝えたい想い」「届けたいもの」を示していけるかが大事って部分がブログにはあるなって思います。それ故に「自分らしく生きる事」を突き詰めていけるツールであるって私は思います。

 

だからこそ、ブログは自分らしく生きていくための1つの方法になるし、他人も自分も幸せにしていける事繋げていけるものなのかもしれないなって思います。

 

 

今日はここまでお読み頂きましてありがとうございました〜!!

こんきちがお稲荷通信メルマガ始めたよ。期間限定のプレゼント付き〜↓ 他人軸じゃなく自分軸で生きる事を知って、20代控えめ女子が好きな事で「自立」出来る様になった話はコチラ↓

POSTED COMMENT

  1. ささぶね より:

    こんきちさん、

    こんにちは、ささぶねです。
    いつもブログ拝読しています。

    こんきちさんの記事を読んでひとつ思い出したことがあります。
    (記事の趣旨と外れてたらごめんなさい。)

    以前、私の親しい友人が不妊治療で苦しい思いをしていた時に、
    「その友人が子どもを授かるまでは、私は妊活しないようにしよう・・・」
    と考えてしまったことがありました。

    アドラー心理学の「課題の分離」のお話で
    「起きた事象は事象。それをどう解釈しどう捉えるかはその人、本人の問題。
    自分の問題と他人の問題を混ぜこぜにしない。」
    という考え方がありますが、
    私はそこまで切り離しては考えられなくて、

    「自分だけが幸福で皆が不幸なのはイヤだ。
    そのまた逆もイヤだ。
    自分の思うがままに自由に振る舞って生きていきたいけれど、
    自分の言動・状況次第で悲しむ人がいるのは、私も悲しい。」
    と、どこかで思っている自分もいます。

    いま目指しているのは
    「そういう考え方もあるのか」
    「それはそれでイイね」
    って、自分のことも人のことも
    お互いを認め合えるようになりたいなぁ~と思っています。

    ブログはその一歩ですね。

    いつもありがとうございます。

    • 狐桔(こんきち) より:

      ささぶねさん

      こんきちです。

      わー!!メッセージありがとうございます!!
      めちゃんこ嬉しいです!!

      アドラーの「課題の分離」知ってます。
      私もアドラー先生の言っている事は分かるし最もだとも思うんですが、

      ・「幸福な自分」がいる一方で「悲しむ人」がいる
      ・「評価される他人」がいる一方で「評価されないで悲しい私」がいる

      って事実はやっぱりそこにリアルに存在しているじゃないか!
      ってどうしても思ってしまって
      中々そこまで私も切り離しては考えられませんでした。

      だからすっと・・・
      私も他人の幸福も比較して嫉妬してモヤモヤする一方、
      自分の幸福も素直に喜べない、罪悪感みたいな感覚がありました。

      自分が不幸になれば他人が幸せになれる訳でもなく、
      他人が不幸だからと言って自分が本当の意味で
      幸せになれる訳でもないのにどうしてもそう感じてしまっていました。

      けど、最近「誰かの幸せの上に自分の幸せがあるのかもしれない」っていう事を考えるようになって
      ・・・そう考えたら他人の幸福も自分の幸福も、その過程にある辛いことや経験もすごく意味のある事だし、
      それぞれの幸せを手に入れることってすごく自然で素敵な事なんだって思いました。

      幸せになった人から、色々な事を教えて貰える。
      自分も出来るようになった事や学びを誰かに伝えていく。

      「そんなの綺麗事だよ」って思われちゃうかも知れませんが
      こういう互いの幸せを素直に喜べる
      生き方、働き方が出来たら素敵だなって思うし、
      凄くプラスな循環な生き方が出来るなって思いました。

      私もまだまだ勉強中ですが、ブログを通じて、
      お互い「人それぞれ自分らしくあって良いんだ」「幸せになって良いんだ」って思えるようになりたいですね。

      (私もちょくちょくささぶねさんのブログ見てます。お互いちまちま頑張って一歩ずつ進んでいきたいですね・・・!!)

      メッセージ本当にありがとうございました〜!!
      嬉しかったです。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA