こんきちです。
大学生の人、同じ年で働いている人…同じ高校で友人だったとしてもそれぞれ自分の道を歩いていきます。
でも、「自分は働いてるのにあの子は楽しそう」「こんなに頑張ってるのに、あの子たちは楽でずるい!」と辛いとつい誰かと環境や境遇を比べてしまって、友人だったのに気持ちにヒビが入ってしまうことがありますよね…。
ということで、今日は仲のいい友人でも時には距離を置いたり、自分と同じ境遇とか環境の人と一緒にいた方がいい時もあるよね、でも本当は自分の気持ちが一番大切だよねって話です。
もし良けれは、読んでいってくれると嬉しいです。
Contents
大学生のあの子と旅館で働いている私
それぞれが道を選んで、進んだ。学生と社会人じゃ、時間もなかなか合わなくて会う機会も減ります。
そんな時に久しぶりにお互い友人同士として遊ぶことに…!
でも、話していくうちに、互いの状況があまりに違うことを実感してしまうことってあると思います。
同年代でも社会人として働いてる方はと「働くことのつらさ」「分からないことばかり、怒られてばかり」「抑圧された気持ち」「仕事で全然帰れない」「周りはおじさん、おばさんばかりで何となく孤独」…社会ってなんというか理不尽なこと多いので色々あると思います。
でも、同じ年で大学生と言うだけで、「自分の好きなことを勉強している」「きらびやかな感じ」「同年代の新しい友人が出来て世界が広がっている」「楽しそう」
そして大学生のあの子がが「こんなことがあってすごく大変だったんだ!」と言っても社会人の私は《何が大変だよ…こっちの方が毎日もっともっと大変だ。楽でいいな。羨ましい。妬ましい。》と思ってしまうことってあるのでは…と思います。
あまりにもいる環境が違う、悩みが違うと、今過ごしている環境が辛い方は相手を羨ましく思ったり、自分ばっかりなんで…と思ったりして、すごく悶々するかも知れません。
楽しそうに働くあの子と仕事が嫌で楽しくない私
新卒で何とか就職先が決まった。不安とドキドキがありながらも、4月が始まる。友人でも 同じく仕事も決まったあの子は、SNSで見てても毎日仕事が楽しそう。職場の人も良さそうで、毎日忙しくも楽しそう。
それに引き換え私は仕事は全く楽しくない。職場は暗くて、正直何でここにいるんだろう…と違和感も感じている。全然、楽しくないし、充実もしていない…早く辞めたいななんて思っている。
たまに仕事帰りに合ってあの子と話しても、何だか違う世界の人みたいで、「大変だけど楽しいよ」「職場の人もいい人だから色々教えてもらいながらやってる」って話している。私も教えてもらいながらやっているけど…何でなんだろう…私のやる気が足りないのかな…。
あの子が楽しそうで眩しくて明るすぎて、私は暗い影に落とされていく気分になってしまう。
同じ境遇でしか分かり合えない、共感できない時もある
環境がいい人、楽しそうな人を見て、自分もそうなりたい!転職しよう!環境を変えよう!と素直に思って行動できゃうと人は別にいいのかもしれません。
でも、そうじゃない人もいます。
周りも自分もわからないことばっかりで、「行かなきゃいけない、それ以外に選択肢はない」「(会社・学校)辞めた人なんていない」「みんなその環境で頑張ってる」「引き返せない気がする」
自分のいる環境に疑問を感じていてでも、どうすることも出来ていない時・どうにかしたいけどどうすればいいのか分からない時ってあります。やっぱりそういう時は、誰かと話しをしたいし、共感したい、してもらいたい。苦労を分かってもらいたい。
共感してもらうと、「やっぱりそうだよな…みんなそう思うよね」「やっぱり、違和感を感じていたけど、おかしいよね」「私だけがそう思っているんじゃないんだ!」「みんな辛いんだな」と安心が貰えると思います。
ただ、同じ境遇、同じように辛いと思っている人と話した方がお互いに納得出来るし、発散できる部分がとても多いと思います。
学生と社会人では、悩みの種類が違いますし、日々感じることもかなり違うことが多いと思います。
そして、(学生と社会人よりは分かり合えるかも知れませんが)社会人同士でも、充実している人には充実しているひとの生活や悩みがあって、仕事が嫌で嫌で辞めたい思っている人にはまた別の環境と悩みがあるのだと思います。
成功している人、楽しそうな人の話を聞くことはとてもいい事だと思います。自分と違う視点での意見を聞けるし、学びがあると思います。
でも、同じ境遇の人同士でしか分かり合えない気持ちや共感出来ないことも確かにあると思います。(あまりに境遇が違いすぎるとやっぱり「ああこの人とは分かり合えない」「羨ましい」なんて思って暗くなってしまうかもしれません。)
同じ境遇で悩んでいる人と話すことは自分と話すことに少し似ているかも知れません。
「自分と似た人」と悩みを語り合い、共感を深め、互いの悩みを客観的に見ながらどうするべきかをその会話から掴むことが出来るかも知れません。
比較しないで自分がどう在りたいかを見つけることが大切
誰かと共感しながら、自分を確かめていく。
そして、共感しても、悩みを分かりあってもきっといつか「環境を変えるか、自分が変わるかしないと何も変わらない」と気づく時が来ると思います。
互いの傷を舐めあっても、大抵の状況は変わらないのですよね。
神様なんとかしてくれよ!!って思っても、世界は同じように毎日回るだけなのです…。
そして本当は気付いている
「比較しても、羨んでも、私はあの子にはなれない。」
そして、悩みまくって、調べまくると、意外と皆「転職してるし」「学校辞めてるし」「失業してるし」「起業してるし」みたいな人もいることが分かってきます。結構、人間適当に自由に生きている人もいるんだなって。
ずっと我慢しなきゃいけないと思っていたけど違うのかもしれない。
10人いれば10通りの人生パターンがあるんです。
私は私だけの見方の、私だけの環境の、狭い世界にいたんだなって思うと思います。
多分、割とほとんどの人は惰性で就職して仕事して、勉強して、生きています。そこまで深く考えて、なんも考えてません。
真面目な人ほど、我慢しないと、耐えないと…と思ってしまいがちですがそんなことも無いんですよね。社会に出ると、学校の時とは違って、言ったもん勝ちだったりすることも多いし、我慢してると正直そんなことも多かったです。
私は大学も就職、そんなに深く考えてなかったです。ただ周りに流されて、親に流されてやってました。そしてなんとか焦って就職しましたけど、結局悩んで悩んで…辞めちゃいました。
自分がどうしたいのか?どう在りたいのか?
それに向かって自分がどれだけ動けるのかというのがきっとすごく大切なことなのだと思います。上手くいっている人や充実している人は、(中にはラッキーな人もいると思いますが)「自分のやりたいこと」「これからどう生きたいか」をすごく考えて決断してきた人が多いように私は思います。
人の幸せは十人十色。充実そうなあの子の立場に私がなっても、多分幸せにはなれません。それは、あの子が掴んだあの子が欲しい幸せだからです。
私は私の在り方を探してそれに向かって、こつこつと努力していくしかないんですよね。
逆にそれができれば幸せになれると私は思っています。
最後にひとこと
「ないものねだり」ついついしてしまう。でも、本当に私が欲しいものはなんなのか…それを考えて忘れないで過ごしたいものです。
ということで、今日はここまでお読み頂きましてありがとうございました~!