こんきちです。
先日、六本木で開催中のカードキャプターさくら展を観てきました。めちゃめちゃ、可愛いし、CLAMPの原画を観れるし良かったです。
ただ、イラスト展示も良かったのですが、私はこの展示会で、カードキャプターさくらの「すきを優しく描いた」世界観についてとても考えさせられました。
好きの全てをやさしく描いた

カードキャプターさくらの世界って読んだ人は分かるかと思いますが、恋心や好きの在り方が良くある一般の漫画とは少し違います。(男女の恋愛、ボーイミーツガール的な)
さくらの世界では・・・性別、年齢、種族、人種、国籍などに関係なく「相手を想う事」「大切に思う心」が否定される事はありません。
それが変でも何でもない、当たり前の世界。
実際漫画の中でも、
- 同性同士
- 先生と生徒
- 同性の友人が好きとう言う描写だったり
- 両思いにならずとも相手の幸せを一番に想う考え方を持つ人
- 1回りも2回りも年齢が違うだろう年下の男の子を愛する人
の表現があります。
「相手の事を大切に想う心]「好きの心」が何の壁もなく許される・・・そんな世界がカードキャプターさくらの中では丁寧にごく自然に、優しい心で描かれています。
誰が誰を好きになってもいい

今の世の中って、
男女の恋愛の感覚以外はまだやっぱり異質なものっていうイメージがあるなって思います。
最近はLGBTって言葉も普及し始めたし、恋愛や感覚の平等性も意識され始めてはいるけど「みんなそれぞれの感覚があるんだよ!」「平等!」っていう事を声を大にして言わないとダメな部分があるというか・・・平等が恩着せがましい、うるさい部分があるなって思います。
だいたい、人を好きになる事に理由や理屈なんて並べても仕方がないです。
それなのに、同性を好きになった事を周囲にいうとカミングアウトなんてものになってしまう。同性を好きになる人は、そういう自分の恋愛観を発表をして周囲に認められないといけないっていうのもちょっと変な感じがします。
さくらの世界では、どんな愛の形もごく自然に当たり前に存在しています。皆が普通に受け入れ、応援してくれる優しい世界。
人は誰を好きになってもいいし、だれかを好きになっちゃいけない事もない。どんな「好き」も素敵な感情で、
大切な気持ちで、蔑まれたり、否定されるような心じゃ無い。
さくらの世界をみていたら、「自分のありのままの気持ち」を大切にする事ってすごく素敵な事だし、それは全然変でも何でもない当たり前の事なんだよねって思わされました。
「らしさ」ってなんだろう

「女らしさ」「男らしさ」・・・色々な「らしさ」ってありますよね。
けど一般的に多くの人が思い浮かべる「らしさ」はなぜか固定されていて、1つしかありません。
女は、笑顔で気遣いよく振る舞って、綺麗に可愛くいるものだ。男を立てて控えめにあれ。
男は、涙を見せず、リーダーシップを取り、強くあれ。
女は男を、男は女を愛し、女は子供を産め。
でも実際には・・・
女で、涙を見せず、強い人、かっこいい格好が好きな人、守られるより守りたい人がいます。男だって、気遣いが得意で、可愛いものが好きで、かっこいいよりも可愛いが好きな人だっています。恋愛観も、同性を好きになる人、性別関係なく人を好きになる人、恋愛をしない人色々な人がいます。
「らしさ」ってきっと1つに括られるようなものじゃ無いんだと思います。人それぞれの「らしさ」「生き方」「それぞれの幸せ」「想い」があって、個々の「自分らしさ」があるんだって思います。
ファンタジーは現実世界への祈りであり希望

みんなの言う「らしさ」があったからって何なのでしょう。みんなの言う「らしさ」から外れたからって何なのでしょう。
「好き」の気持ちは尊い感情で、誰が誰を好きになっても良いんですよね。否定されるべき「想い」「感情」はどこにも無くて、それぞれが、それぞれの「らしさ」を大切にして生きていきける社会であって欲しいな・・・と思いました。
カードキャプターさくらは、漫画だしフィクションかもしれない。そんな綺麗事な世界は無理なのかもしれません。けれど私は、そんな幻想や理想が本当になればいいなって思います。
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございました〜!!